大判例

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東京高等裁判所 昭和60年(ネ)789号 判決

控訴人

横浜生絲取引所

右代表者理事長

小島周次郎

右訴訟代理人弁護士

増岡由弘

高氏佶

被控訴人

角田株式会社

右代表者代表取締役

角田錦重

右訴訟代理人弁護士

松浦光明

寒河江晃

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  控訴代理人は、「1 原判決を取消す。2 被控訴人の請求を棄却する。3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠は、次のとおり訂正、付加するほかは、原判決の事実摘示と同一であるから、その記載を引用する。

1  原判決四枚目表一行目各「債務」をいずれも「返還債務」と改める。

2  控訴人の主張

(一)  準備預託金は、取引所が商品取引員の取くずしの申出を承認したとき又は商品取引員が取引所を脱退した場合において商品取引員から商品取引事故の申出がないときに商品取引員に返還すべきものである。ただし、脱退の際その者と委託者との間に係争中の商品取引事故があり、委託者がその旨を取引所に申出たときは、右争いの終了するまでその返還は停止され、争いが終了したときに返還することになる。

すなわち、準備預託金返還債務は、商品取引員が預託金を取引所に預託した時から全額について発生し、遅かれ早かれ結局はその全額が商品取引員に返還されるのであるから、不確定期限付債務である。したがつて、準備預託金返還債務は、原判決判示のように停止条件の成就により発生するものではなく、原判決の引用する最高裁判所昭和四七年四月一三日第一小法廷判決は本件に適切でない。

(二)  仮に控訴人が被控訴人に対し一八九八万八七七九円の準備預託金返還債務を負うとしても、控訴人は、被控訴人に対し被控訴人の会社整理計画による第一回配当金二一八万九六三九円及び第二回配当金三三五万七四四七円の各反対債権を有するところ、控訴人は、被控訴人に対し昭和五九年三月二日到達の内容証明郵便による書面をもつて右第一回配当金二一八万九六三九円の債権を自働債権として被控訴人の控訴人に対する右準備預託金債権と対当額で相殺する旨の意思表示をし、また、昭和六〇年三月一日到達の内容証明郵便による書面をもつて右第二回配当金三三五万七四四七円の債権を自働債権として被控訴人の控訴人に対する右準備預託金債権と対当額で相殺する旨の意思表示をしたので、本件預託金返還債務はその限度で消滅した。

3  被控訴人の主張

(一)  準備預託金返還債務は停止条件付債務であつて、控訴人主張のような不確定期限付債務ではない。

商品取引責任準備金及び準備預託金の制度は、先物取引又はその受託に関して生じた事故であつて政令で定めるものによる損失の補てんを目的とし、その趣旨は、右補てん資金をプールして事故に際し委託者の速やかな救済をするとともに、商品取引員の突発的、多額な賠償義務による破綻を回避して安全、円滑な商品取引を確保することにあるから、一たんプールされた資金は、原則として返還せずに確保されるべき性質のものであり、一定の停止条件が成就したときにのみ返還債務が現実化するものである。

(二)  右のとおり、控訴人の被控訴人に対する準備預託金返還債務は、停止条件付債務であるところ、本件においては、整理開始後に条件が成就したから、控訴人は、整理開始後に債務を負担したものとして、商法四〇三条一項、破産法一〇四条一項により控訴人主張の債権と本件準備預託金返還債務とを相殺することは許されない。

理由

一原判決事実摘示被控訴人の請求原因事実及び控訴人の抗弁1の事実(控訴人の値洗差金支払請求債権をもつてする被控訴人に対する準備預託金返還債務との相殺)は、いずれも当事者間に争いがない。

二そこで、準備預託金返還債務の法的性質について検討する。

1  準備預託金について商品取引所法五三条の三は、

「商品取引員は、商品市場における売買取引高に応じ、商品取引責任準備金を積み立てなければならない。

前項の商品取引責任準備金は、先物取引又はその受託に関して生じた事故であつて政令で定めるものによる損失の補てんにあてる場合のほか、使用してはならない。ただし、主務大臣の承認を受けたときは、この限りでない。

第一項の規定による商品取引責任準備金の積立てに関し必要な事項は、主務省令で定める。」

と規定し、右二項を受けた商品取引所法施行令六条は、

「法第五三条の三第二項の政令で定める事故は、先物取引又はその受託に関してされた商品取引員(法人である場合には、その役員)又は商品取引員の使用人の違法又は不当な行為で、当該商品取引員とその顧客との間において紛争の原因となり、又は紛争の原因となるおそれのあるものとする。」

と規定し、右商品取引所法五三条の三第三項を受けた主務省令である商品取引所法施行規則四条の八は、商品取引員が積立てるべき商品取引責任準備金の金額の算出方法を定めている。

前記施行令にいう商品取引員又はその使用人の違法又は不当な行為とは、具体的には商品取引所法九四条に定める不当勧誘、無断売買等をいうと解される。

右のとおり、商品取引責任準備金は、商品取引員が商品取引所法施行令六条に定める商品取引事故による損失に備え積立てるものであるところ、各商品取引所は、委託者保護のため、定款をもつて当該取引所に加入する商品取引員が積立てた商品取引責任準備金の積立金に相当する額を商品取引責任準備預託金として商品取引所に預託すべき旨を定めており、〈証拠〉によれば、控訴人も、定款一二三条において、商品取引員は、商品取引事故による損失に備えるため、毎月、商品取引責任準備金を積立て、その積立金に相当する金額を商品取引責任準備預託金として取引所に預託しなければならない旨を定めていることが認められる。

ところで、前掲〈証拠〉によれば、控訴人に預託された商品取引責任準備預託金が商品取引員に返還されるのは、次の二つの場合である。

第一は、控訴人の定款一二五条の定める場合であつて、(ア) 商品取引員が商品取引事故にかかる委託者の損失を補てんし、又は補てんすることになつた場合において、その損失の補てん額のうち、求償を伴わない部分の金額があるときは、その額、(イ) 役員又は使用人(役員又は使用人であつた者を含む。)に対する債権で、商品取引事故にかかるものについて、回収ができないこととなつたときは当該金額、(ウ) 災害、商品取引事故以外の盗難、横領その他の理由により商品取引員の委託者に対する売買取引に伴う債務の履行が困難であり、委託者保護上商品取引責任準備金の取りくずしが必要であるときは、控訴人の理事会で認めた金額を限度として準備預託金から返還を受けることができる。

第二は、控訴人の定款一二六条一項の定める場合であつて、商品取引員が取引所を脱退し若しくは受託業務を廃止してその許可が失効したとき又はその許可が取消されたときは、その者の準備預託金は返還される。ただし、この場合に、商品取引員と委託者との間に係争中の商品取引事故があり、委託者からその旨を取引所に申し出たときは、右争いが終了するまで返還を停止し、争いが終了したときに商品取引員に返還することになる(定款一二六条一項但書)。なお、商品取引員から商品取引事故による商品取引責任準備金取り崩しの申出があり取引所がこれを承認したときには、右預託金の一部を取り崩して商品取引員に返還されるので、その補充がないまま、商品取引員の脱退による最終的な預託金の返還時において返還すべき準備預託金が存在しないことも考えられるのである。

2 以上述べたところからすれば、商品取引責任準備金及び商品取引責任準備預託金は、商品取引員の先物取引又はその受託に関して生じた事故であつて政令に定めるものによる損失の補てんにあてる目的で積立てられた資金であり、これにより事故に際し委託者の速やかな救済をするとともに、商品取引員の突発的、多額な賠償義務による破綻を回避して安全、円滑な商品取引を確保するためのものであつて、商品取引員は、一定の返還条件を充足したとき又は一定の返還条件の充足なくして取引所を脱退したときにその返還を受けうるにすぎないのであり、しかも、返還前事故が発生した場合に準備預託金返還請求債権に対する委託者からの差押、転付等の強制執行を禁止すべき理由はないから(すなわち、早かれ遅かれ必ず全額が預託者に返還されるわけのものではない。)、準備預託金返還債務は停止条件債務であると解すべきである。

三右のような準備預託金返還債務の法的性質からすれば、取引所は、商品取引員が脱退しない限り、値洗差金支払請求債権をもつて準備預託金返還債務と相殺することは許されないものと解するのが相当である。しかしながら、商品取引員が取引所を脱退し、準備預託金返還債務が条件成就により現実化した場合には、右債務を値洗差金支払請求債権と相殺することは、法律に別段の定めがない限り、許される。よつて、原判決事実摘示被控訴人の再抗弁1は、この意味において、理由がない。

また、債権者が法律の規定によつて妨げられることのない相殺権を有するときは、右相殺権を会社整理の手続外で行使しうるのは当然であつて(別除権を破産手続外で行使できるのと同様である。)、原判決事実摘示被控訴人の再抗弁2も、この意味において、理由がない。

四被控訴人は、再抗弁として、本件準備預託金返還債務は商法四〇三条一項、破産法一〇四条一号により相殺が禁止される旨主張するので、判断する。

一般に準備預託金返還債務を停止条件付債務と解すべきことは、前述したとおりである。そして、前記事実によれば、本件準備預託金返還債務は、昭和五八年三月三〇日被控訴人の控訴人からの脱退により停止条件が成就し、現実化したものと解されるところ、〈証拠〉によれば、横浜地方裁判所は昭和五八年一月二〇日被控訴人につき会社整理手続を開始する決定をし、そのころ告知したことが認められる。そうすると、控訴人は会社整理手続開始前すでに被控訴人と停止条件付債務を負担する契約を締結していたとはいえ、整理開始の時点においてはまだ条件が成就しておらず、整理開始後に至つてはじめて条件が成就し、右契約による返還債務が現実化したのであるから、整理開始後に債務を負担したものとして、商法四〇三条一項、破産法一〇四条一号により相殺が禁止されるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和四七年七月一三日第一小法廷判決・民集二六巻六号一一五一頁参照)。このような解釈は、控訴人に不利であるが、会社債権者間における平等的比例弁済をはかる上からいつて、妥当である。そして、準備預託金返還債務を相殺の対象とすることが法律上禁止される場合には、右法律の趣旨を貫徹するため準備預託金返還債務を対象とする相殺の合意も禁止されるものと解すべきである(なお、原審における控訴人代表者渡邊義利尋問の結果中相殺の合意があつた旨の控訴人の主張に沿う部分は、原審における被控訴人代表者角田錦重尋問の結果に照らしてにわかに採用することができず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。)。

よつて、仮に控訴人がその主張のような相殺(ないし相殺の合意)をしたとしても無効であり、控訴人主張の相殺の抗弁及び相殺の合意の抗弁は、いずれも採用することができない。

五以上の次第で、原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官川添萬夫 裁判官佐藤榮一 裁判官石井宏治)

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